イエスの方舟事件(千石剛賢)の現在はシオンの娘!千石イエスの真相は?

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今から50年ほど前の1965年頃にある宗教に入信した者が続々と家出をし、
家族から捜索願が出されたことで、騒動となった事件がある。

それは「イエスの方舟事件」と呼ばれ、
千石イエスこと千石剛賢氏(せんごく たけよし)が教祖の宗教
「イエスの方舟」によって起きた世間を震撼させた事件の一つである。

イエスの方舟事件とはどのような事件だったのか、
また、イエスの方舟は現在「シオンの娘」として活動を続けているという情報もあるが、
これについてもご紹介していきたい。

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イエスの方舟の誕生と教祖の千石剛賢について

千石剛賢氏は兵庫県加西市の富裕な農家で
1923年7月12日に誕生した。

20歳になると、海軍に所属。
終戦後は自営業の経営に失敗し、職業を転々としながら教会に通い始める。

千石剛賢氏は気の短い性格で、喧嘩に明け暮れる日が続いていた時期があり、
いつか事件を起こして死刑を受けるのではないかと考えてことが教会に通い始めた理由である。

また、離婚を一度経験しているが、
その後、別の女性と再婚している。

1952年には大阪で聖書研究会に参加し、
1960年に聖書研究会会員10名と共に東京都国分寺市で
「極東キリスト集会」を結成し、その教祖となった。

そして、1975年頃に「イエスの方舟」に名称を変更。
こうしてイエスの方舟は誕生したのだ。

しかし、この頃からイエスの方舟の信者がある行動を起こしたことによって
イエスの方舟は世間からバッシングを受けることとなり、
イエスの方舟事件が起きてしまったのだ。

イエスの方舟事件の発生

名称をイエスの方舟に変更したちょうど同じ時期のこと。
イエスの方舟の信者たちが「家庭に居場所がない」という理由で、
家庭を捨てて家出のような形で千石剛賢氏と共同生活をするようになっていた。

これを受けて信者たちの家族が警察に捜索願を提出し、
1977年に警察は特別捜査班を設置して捜査を本格的に開始するも、
信者たちは「家庭に戻るくらいなら死んだほうがマシだ!」と言って
家族の願いを受けいれなかった。

信者たちは若い女性が大半で中には男性や既婚女性なども含まれていたというが、
イエスの方舟に法に触れるような痕跡が見られなかったため、
大人である信者たちを無理やり家に戻すという行為は警察でさえもできなかった。

しかし、信者の家族たちは当然納得がいかず、
イエスの方舟に直接押しかけ、抗議活動が盛んに行われた。
これによって千石剛賢氏の嫁らが負傷することもあったという。

この時、千石剛賢氏は心筋梗塞が悪化したことから満足な布教活動ができなくなったため、
信者たちは東京都国分寺市を離れ、全国を転々として福岡へ。

そこで女性信者たちはホステスとして生活費を稼ぐために働いていた。

千石イエスによるイエスの方舟事件として大々的に報道される

信者の家族たちはこうした事態を受けて警察だけでなく、マスコミに話を持ちかけ、
1980年に「千石イエスよ、わが娘を返せ」というタイトルの手記が掲載された。

さらに、産経新聞もイエスの方舟のバッシングを行い、
1980年2月21日の国会では神田厚民主党衆議院議員が
イエスの方舟は狂信的団体として扱った。

これに対し国家公安委員長であった後藤田正晴氏が
「法に触れるようであれば刑事事件として追求する」と発言したことで
警察の捜査がさらに本格的なものとなり、
イエスの方舟はカルト教団として全国に名が知れ渡ったのだ。

イエスの方舟事件の結末

「千石イエスによるイエスの方舟事件」としてマスコミがバッシングを続ける中、
サンデー毎日だけイエスの方舟を冷静に評価していた。

そして、1980年6月17日サンデー毎日の記者は千石剛賢氏とその信者らを取材し、
「千石イエス独占会見記」を掲載した。
これに他のマスコミが一斉に反発し、マスコミ戦争へと発展したが、
7月2日、千石剛賢氏についに逮捕状が出されるも、千石剛賢氏は持病の狭心症が悪化し、
緊急入院したため、逮捕されることはなく、信者らは会見で

・私たちは千石氏を「責任者」や「おっちゃん」と呼んできたこと
・共同生活は楽しかったこと
・親子の理解が浅かった。今でも千石氏以外、頼れる人はいないこと

などを発言し、マスコミが報じてきたバッシングの内容を否定したことで事件は沈静化し、
千石剛賢氏は不起訴処分となった。

イエスの方舟と千石剛賢の現在

イエスの方舟事件が沈静化すると、
1980年に千石剛賢氏は福岡の中洲で「シオンの娘」というクラブを経営し始める。

このシオンの娘の従業員を務めているのは女性会員たちで
事件地の沈静化後も共同生活も続けていたといい、
現在もこのシオンの娘は経営している。
【画像】


【住所】
福岡県福岡市博多区中洲4丁目1-28

そして、千石剛賢氏はその後、1993年に「イエスの方舟会堂」を
福岡県の古賀市に建設し、
2001年12月11日に福岡市の病院で78歳という年齢でこの世を去っている。

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イエスの方舟事件の疑惑が晴れたのはなぜ?

正直この内容だけを見ていると、
信者たちは洗脳されていたのではないかと思ってしまうが、
それでもイエスの方舟事件の疑惑が晴れた理由は何だったのだろうか。

それは千石剛賢氏の人柄にあったという。
信者たちは会見で千石剛賢氏のことを教祖ではなく、
「おっちゃん」などと呼んでいたと証言しているが、

千石剛賢氏の人物像は教祖にありがちなお金儲けのような印象はなく、
本当にそこらへんにいる普通のおっちゃんという印象だったそうだ。

また、信者たちは家庭環境が悪く父親不在の信者もいたということで、
イエスの方舟に入信して本当の父親を見ているような感覚だったのだ。

しかし、信者の家族たちは自分の家庭環境の悪さに目を向けることなかったため、
娘たちが出て行った理由をイエスの方舟のせいにするしかなかったということも判明していった。

このような理由からイエスの方舟事件が沈静化していったのだと考えられる。

現在はカルト教団というとオウム真理教などが思いつくが、
このカルト教団という言葉が使われだしたのも、
ちょうどこのイエスの方舟事件の頃からのようだ。

また、現在は世界中でカルト教団が様々な事件を起こしているが、
このようなカルト教団と同じにされてしまったというのがイエスの方舟事件の真相だったのだ。

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