日曜連続爆弾魔事件(ウルトラ山田事件)の犯人の動機が衝撃的過ぎる…

  • 2016-9-21
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1974年2月18日深夜
大阪市天王寺区の近鉄上本町駅で爆発が起こり
近くにあった脅迫状に現金が要求されていた
近鉄脅迫事件。

そして、同年3月17日に近鉄百貨店阿倍野店7階で爆発が起き
犯人が自分の名前を「ウルトラ山田」と名乗った
ウルトラ山田事件。

この二つの立て続けに起きた事件(日曜連続爆弾魔事件)とは
一体どのような事件だったのだろうか。
その経緯や犯人の動機についてご紹介していきたい。

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日曜連続爆弾魔事件の始まり(近鉄脅迫事件)

1974年2月18日深夜
大阪市天王寺区の近鉄上本町駅で爆発が起こり
近くにあった近鉄社長宛ての脅迫状には現金5,000万円の要求がされていた。

脅迫状の内容

われわれは多額の現金が必要なため貴社にそれを用立ててもらう。
この書面を貴社がみるころ、近い現場と時刻に、ある場所で爆発が起きているはずだ。
そのあとでも連続して犠牲者が出ることになるだろう。
われわれが所持しているのはニトロである。
五千万円出せ。
もしこの要求に応ずるのであれば『政子話し合う、すぐ電話せよ』という文と連絡電話番号を
毎日新聞の広告欄にのせよ。警察に連絡すれば、われわれにはすぐわかる。
その結果いかなることになろうと、われわれの方に責任はない。

近鉄は警察に通報し、脅迫文の指示に従い、実際に新聞の尋ね人欄に広告を出した。
まもなく、犯人側から近鉄本社に頻繁に電話がかかってくるようになった。
犯人側は当初の5千万円要求から、金額を2億円につりあげてきた。
しかし、3月に入ると運搬の都合を理由に金額を1億円に引き下げてきたのだ。

3月9日、犯人側から現金の受け渡しを求める内容の脅迫状が届けられる。
現金運搬者は近鉄・上六デパートの男性店員。
車両は近鉄名古屋タクシーのあるナンバーの車で
運転者は5日午後2時頃にその車を運転してい男性を指定してきた。

しかし当日午後6時1分「あのね、金、もうわし、金いらんわ」
と犯人から連絡が入るものの、警察が「現金を用意してある」と伝えると
「また手紙を送る」と言って電話を切った。

12日午前になると
「13日午後6時半に車を出せ、30分前に行き先を指示する」という脅迫状が届く。

そして13日午後5時59分
行き先と時間の指定の連絡が入ったため、現金運搬車が出発した。
この時、指定された運搬車と運転手は警察が成り代わっていた。

犯人は指定場所にそのまま現れて現金を奪うとして
午後11時10分
指定された京都府久世郡久御山町のドライブイン「宇治」に警察官が待機。
すると白いマスクをした中年の男が近づいてきた。

男は導火線を取り出し、「爆弾を持っている」と脅すも
警察官に取り押さえられた。
男の名前は神戸市に住む無職「千葉」(当時44歳)という男で
同じ夜、京都府警が茨木インター付近で検問中、不審な男が運転する車を見つけた。
調べてみると、この男は千葉の弟(当時31歳)だったのである。

日曜連続爆弾魔事件(近鉄脅迫事件)の犯人千葉兄弟の動機について

逮捕された千葉兄弟の兄は犯行動機について

「世の中の貧富の差があまりにひどいことに腹が立った。
こうした世の中で自分も一旗上げるには、
爆破を実行に移すことぐらいしかできることがないと思った。
近鉄を狙ったのは、大会社で相当の金があるはずと見たからである。
また以前に、ナポレオンの帽子を高い値段で売りに出すなどふざけている上に、
日頃から不当な利益を得て、大きな顔をしていることも癪に障った」
としている。

千葉兄弟が爆弾を使用したのは特殊合金工具などを製造する工場で働いており
爆弾を作る知識が豊富だったためである。

さらに、千葉兄弟は父親は戦後行方不明で母親と貧しい生活を送っており
1950年には兄弟の1人が女性関係のもつれから人を殺害し
遺体を自宅近くに遺棄するという事件を起こして、一家は町を出ていくなど
厳しい家庭環境で育った経緯があったのだ。

こうした経緯が犯行へと駆り立ててしまったのである。
ちなみに千葉兄弟が起こした爆発事件は幸いにも被害者は出ていない。

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日曜連続爆弾魔事件が再び(ウルトラ山田事件)

千葉兄弟の逮捕によって事件は解決したと思われたが意外な展開を迎える。
1074年3月17日午前11時半頃
日曜日の混雑する近鉄デパート阿倍野店7階子ども服売場で爆発が起きたのだ。

幸い被害者は出なかったものの以下の脅迫状が発見された。

脅迫状の内容

次の事を実行せよ
我々の要求に応じるならば我々は第二第三と
爆破及び放火計画を中止する
我々の要求とは千葉兄弟を訳放せよ
要求に御応じないときは我々は近鉄百貨店
近鉄電車が攻激目的となる我々は利益を
目的としない
           甘く見るな

                      ウルトラ山田より

誤字脱字があったが綺麗な字で書かれた脅迫状に書かれた
「ウルトラ山田」という名前は
1967年1月に大丸神戸店で起きた
未解決の爆破事件の時に現場に残された脅迫状に差出人として記されていた名前であった。

その後、同日午後には近鉄阿倍野店に犯人から電話がかかってきており
「テレビやラジオでいたずらと言ってるけど。いたずらじゃないことだけは知っておいてくれ」
「いたずらじゃないことだけ知ってればいいんだ」という内容だった。

そして、4月7日の日曜日の午後4時頃
天王寺署上本町七丁目派出所で爆弾が爆発し
警官の1人が右手の指3本を失う重傷、他4人が軽傷を負った。

4月14日、またしても日曜日に国鉄天王寺駅構内にある地下トイレで爆発が起きた。
トイレは目立たないところにあり、怪我人などは出なかったが、
爆発場所の向かいは近鉄デパート阿倍野店だった。

このウルトラ山田による日曜日連続爆弾魔事件の犯人像は
電話の声から中年の男性と思われていたが、それ以外の手がかりはなかった。
というのも、犯人は千葉兄弟のように金銭を要求してくるわけでもなく
千葉兄弟の釈放の身を要求していたためだ。

捜査が行き詰まったまま月日が流れた9月
捜査本部の刑事が爆破事件の現場の写真を見て、ある見物人の顔に気がついた。
張り巡らされた現場保存用のロープに少年が1人すがりつくように見物している。
この顔は初めて見る顔ではなかった。別の2件の現場にも同じ少年が写っていたのだ。

この少年の身元は以前行われたローラー作戦によってすぐに特定され
中学2年生の爆弾マニアであることが判明した。
しかし、まだ中学生ということもあり、警察はすぐに事情を聞けない状態だったのだが
後日、少年の方から警察に出頭してきた。
その理由は自宅敷地内にいた不審な男を取り押さえ、連れてきたというものであった。

少年は参考人として調書に指紋を押したが
これが天王寺駅トイレの爆発物に残された指紋が少年のものと一致し、補導されたのだ。
ウルトラ山田による日曜日連続爆弾魔事件は意外な形で結末を迎えたのだ。

日曜連続爆弾魔事件を起こしたウルトラ山田の動機

まず、少年と1967年1月に大丸神戸店で事件を起こしたウルトラ山田は別人だった。
それは、事件当時少年の年齢は7歳であるため、犯行が不可能だからである。

少年は母子家庭で育ち、学校に通いながら新聞配達をするなどして家庭を支えていたが
6年生ぐらいから学校を休みがちになり中学2年時には学校にほとんど登校していなかったという。
この時期に少年は爆弾に興味を持ち始めたという。

母親は爆弾事件のことも息子が勉強部屋で爆弾を作っていたことも知らなかったといい
学校に通わず、漢字が書けなかった少年は脅迫状を母親に書いてもらっていたという。
母親は疑問を感じたものの息子に「別に何もしない」という言葉を信じて書いたそうだ。

少年がなぜ、千葉兄弟の釈放を求めたのかは不明だが
千葉兄弟の事件を知って影響を受けて自分もやってみようという気持ちで
日曜連続爆弾魔事件を起こしたという見方が強い。

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