杏真理子(美人ハーフ歌手トランク詰め事件)はタネヨシミギタが犯人の名前だった

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6月24日の「爆報フライデー」で
美人ハーフ歌手トランク詰め事件が紹介される。

被害者であり美人ハーフ歌手Xは誰なのかというと
杏真理子(きょう まりこ)さんという名前である。

そして、彼女を殺めた犯人はタネヨシミギタという名前である。

当時の芸能界を震撼させたこの事件についての紹介と
二人の人物についての紹介をしていきたい。

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杏真理子が美人ハーフ歌手としてデビューを果たすまで


杏真理子さんは1949年1月15日に青森県三河市で誕生する。
両親は父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフである。

当時は珍しいハーフということもあり、幼少期はいじめられた経験を持つものの
高校生の時にはハーフ特有のはっきりした顔立ちから
学校一番の美女として注目を集めていた。

杏真理子さんは子供の頃から歌手になりたいという思いがあり
自宅の青森から札幌のナイトクラブまで通って歌を披露する日々を送っていたところ
業界関係者の目に留まり、スカウトされる。

そして1971年にシングル「さだめのように川は流れる」で念願のデビューを果たす。
しかし、同時期に小柳ルミ子さんが大ヒットを果たしていた影響もあり
売上枚数は2.3万枚と期待を大きく下回るものであった。

それ以降もなかなか結果が出ずアメリカへ

杏真理子さんはデビューの後、シングルを数枚リリースするもののヒットすることはなく
1973年に歌手活動休止を発表。同時に音楽勉強のため渡米することを決意する。

アメリカのサンフランシスコでアパートを借り、アルバイトをしながら
ボイストレーニングやオーディションを受ける日々を過ごしていった。

そんな日々を送る中、杏真理子さんはある人物と再会することとなる。

杏真理子とタネヨシミギタはかつての交際関係だった

その人物とはタネヨシミギタという人物で
杏真理子さんの高校時代の交際相手である。

タネヨシミギタも杏真理子さんと同じアメリカ人とのハーフで
生まれもアメリカなのだが、幼少期から日本で育っているため
ほとんど英語が話せなかったという。

杏真理子さんが芸能界に入るという理由で別れを告げたのだが
タネヨシミギタはそれに納得がいかず慰謝料を要求していたのだ。

しかし、芸能活動に支障を来したくないという思いもあり
数万円を渡してしまったことで執拗に金銭を要求していた。

美人ハーフ歌手トランク詰め事件が発生する

杏真理子さんとタネヨシミギタが再開したのは1974年4月8日のこと。
なんと、タネヨシミギタはサンフランシスコにある杏真理子さんの自宅を訪ねてきたのだ。

タネヨシミギタは酷く激昂していたという。
それは自分に何の連絡もなく渡米したためである。

そして、タネヨシミギタはいつものように金銭を要求するものの
拒否されたため、さらに激昂した結果
杏真理子さんを殺めてトランクに詰め、現金を奪って逃走したのだ。

杏真理子さんはまだ25歳で、歌手としてブレイクするために必死に頑張っていたものの
身勝手な男によって全てを奪われてしまったのである。

美人ハーフ歌手トランク詰め事件発生の翌日である4月9日に
職場に杏真理子さんが姿を見せなかったため
仕事仲間が自宅を訪ねたことで事件が発覚した。

タネヨシミギタの現在

その後、タネヨシミギタは逮捕され、現在はアメリカの刑務所にいる。

今回の事件の場合だと殺人だけでなく強盗も絡んでいるため
終身刑の判決が下ったのではないかとされている。

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タネヨシミギタは要注意人物としてマークされていた

タネヨシミギタは美人ハーフ歌手トランク詰め事件を起こす前から悪い評判が立っていた。

当時住んでいた青森県三河市では素行の悪さが有名だったといい
事件にも度々絡んでいたとの情報もあり、要注意人物としてマークされていたようだ。

タネヨシミギタの両親について調べてみると
母親がアメリカ人で父親は日本人で大学教授をしていたという。

エリートな家庭という印象だが何が彼をここまでさせてしまったのかは明らかになっていない。

6月24日放送の「爆報フライデー」では犯人の情報や名前の公開があるかは不明だが
現在でもこうした猟奇的な犯罪は起きているため
放送をきっかけにこうした事件が少しでも起きなくなることを祈るばかりである。


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